ストーリー
記事公開:2019年12月

種イモ生産から宇宙農場まで!
さまざまな分野で注目が高まるキリンの「植物大量増殖技術」

  • 原料栽培・生産

~基本技術だけでなく実用化を達成した30年を越える植物バイオ研究の歩み~

キリンは、1980年代から「植物の増殖」という分野で研究に取り組み、世界的にも類のない4つの独自技術を確立しています。社会課題を解決する技術として、現在、さまざまな方面から注目が高まっていますが、ここに至るまでには、技術が消滅する危機もありました。30年以上にわたり、一貫して植物開発に携わってきた大西昇シニアフェローに、キリンだからこそ実現できた技術開発の歩みを聞きました。

大西 昇(おおにし・のぼる)

キリンホールディングス(株)R&D本部 植物バイオプロジェクト 兼 基盤技術研究所 シニアフェロー

北海道大学農学部で育種学を学んだのち、京都大学の生物細胞生産制御実験センターを経て1984年にキリンビール入社。以来、植物の増殖技術の開発に携わる。90年代にアグリバイオ事業の発足に関わり、国内外で事業展開。2010年代、キリンの植物関連事業譲渡に伴い基盤技術研究所に異動。2014〜15年の学会発表が注目を浴び、2018年より新たに植物バイオプロジェクトが発足。2019年10月の定年後もシニアフェローとして在職し、技術開発と後進の指導に力を注いでいる。

植物の増殖とは何か。なぜ、キリンが取り組むのか

2019年は、大西シニアフェローにとって忘れがたい年となりました。入社以来、携わってきた「植物大量増殖技術」の開発が、未来へつながる大きな転機を迎えたからです。「大変うれしかったのは、ジャガイモの大量増殖技術が評価され、農研機構種苗管理センターへの技術移転が実現したことです(*1)。また社内でも、この技術を端緒とした「植物バイオプロジェクト」が新たに立ちあがり、キリンのコア研究領域の1つとして位置付けられたことも大きな感慨でした。一時は消滅しかかっていた分野ですから、細々とでも、ここまでつないできて本当によかったと思いました」

キリンが、栃木県に植物開発研究所を設立したのは1983年のこと。その翌年に入社した大西シニアフェローは、キリンの植物技術開発と共に歩んできた「生き字引」ともいえる存在です。「過去にキリンが植物の技術開発を始めた理由は、ホップや大麦などの植物をビール原料として用いていたからです。研究所が設置された栃木県も、ホップ栽培の南限かつ大麦栽培の北限という立地でした。私たちが研究対象としていたのはジャガイモや花などで、酒類や飲料事業には直結しませんが、若い私たちは、『ここから新しい技術を生み出すんだ』と燃えていましたね」

大西シニアフェローが携わっていたのは「植物大量増殖技術」。植物の増殖は、通常は種子や挿し木等で行われますが、親植物と同じ形質をもつ優良植物を大量につくるには、効率を上げるため、組織培養等のバイオテクノロジー(生命工学)を用いることが有効と考えられます。

キリンが確立した「植物大量増殖技術」

それまでにも、組織培養によって植物を増殖する技術は開発されていましたが、多くは手作業で、手間や労力のかかるものでした。増殖率も、1年に数十倍~数百倍ほどでした。増殖率をさらに高めるためにキリンが独自に研究し、開発したのが下の4つの大量増殖技術です。培養した植物の苗をもとに、液体の培地を用いて、茎や芽、不定胚、イモを大量に増殖するのです。

「茎の増殖法を器官培養法、芽の増殖法をPPR法、胚の増殖法を不定胚法、イモの増殖法をマイクロチューバー法(MT法)と呼んでいます。これらの技術を用いることで、病気のない健全な苗や、同じ特性をもつ苗を、植物種によっては数万倍~数十万倍もの増殖率で大量に増殖することができるようになりました。新品種や絶滅危惧種、有用な植物の大量増殖にも役立ちます。世界でも類のないキリンオリジナルの技術なのです」

図1 キリンが確立した植物大量増殖技術+袋型培養槽

培養した苗をもとに、茎の増殖法(器官培養法)、芽の増殖法(PPR法)、胚の増殖法(不定胚法)、イモの増殖法(MT法)という4つの独自技術を確立。これら一連の「植物大量増殖システム」は、日本植物細胞分子生物学会で注目を得て「2015年度技術賞」を受賞しています。

実用化の決め手になった「袋型培養槽」

開発したのは、基本技術だけではありません。当初から、「実用場面で使える技術に仕上げる」ということを最重点課題に据えていたからです。「実用的な生産システムを確立するには、数々の高いハードルがありました。最大の難問は、生産用の容器をどうするかでした。通常用いられるステンレスやガラス製のタンクは、1台数十~数千万円と高価な上、微生物汚染で全滅するなどリスクが高く、植物苗の実用生産には向きません。作業の難度や安全性の担保も大きな課題となります。いろいろな容器を試作して検討した末、たどりついたのがビニール製の袋型培養槽でした。人が持てるくらいの大きさで、極めて安価。リユースも可能です。破裂したり割れたりする恐れもなく、安全性、作業性、無菌性が高いことから、誰でも容易に扱うことが可能です。この袋型培養槽の開発が、実用化の決め手になりました」袋型培養槽は、イモを増殖するマイクロチューバー法の研究から生まれたものです。研究チームは同時に、得られたイモ(無菌下で作製される極小イモ=マイクロチューバー)の収穫機や選別機、計数機、播種機も開発しました。並行して、多くの社外関係者との協働のもと、マイクロチューバーを畑で栽培する技術も研究し、生産システムをつくり上げていったのです。

こうして、一連の技術と生産システムをを90年代半ばに確立した大西シニアフェローたちは、この技術をジャガイモや花、野菜などのアグリバイオ事業に用いていくことに挑戦しました。「あまり知られていませんが、事業は世界規模でした。植物の育種はイギリス、オランダ、フランス、スペインで。育成した品種の増殖は日本、中国、ほか世界各地でというように。アフリカや中南米、アメリカを含め、世界中に広がった当時のグループ会社は35社で、従業員数は2800人。カーネーションとキクは世界1位、ジャガイモは世界4位のシェアを誇るまでになりました」

図2 マイクロチューバー法(MT法)と袋型培養槽を用いたジャガイモの大量増殖

マイクロチューバーとは、無菌下で作製される極小の(マイクロ)イモ(チューバー)という意味です。まず、茎を増殖します。それを特定の条件下で液体の培地で培養すると、通常は土の中にできるジャガイモが、植物体の上部に形成されます。その数は、1袋あたり100~300個。人工的な環境の中で行うため、年間を通じて増殖することができます。この基本技術と、実用化技術の両方を確立したことで、実際の大量生産と事業が可能になりました。

病害虫に強い品種のジャガイモを普及させたい

ところが、2010年、この技術は存亡の危機に見舞われます。キリンにおける全体戦略の見直しが行われ、アグリバイオ事業は外部譲渡することが決まったのです。2012年には、栃木の植物開発研究所も閉鎖となり、植物開発の研究テーマは消滅の危機を迎えました。

「技術開発をやめてしまうのは簡単です。しかしこの技術には、開発に携わってきた多くの人々の想いが詰まっています。私は、なんとか技術をつないでいきたいという気持ちでいっぱいでした。幸い、社内外からの評価が高かったこともあって、事業を譲渡した後も開発を続けることができました」

キリンの植物大量増殖技術は、それまでは一切、外部に公表していませんでした。特許出願も限定的で、事業のために秘匿していたのですが、2013年に初めて学会発表に踏み切りました。これが大きな注目を得たのです。

冒頭で紹介したように、マイクロチューバー法と袋型培養槽を用いたジャガイモの大量増殖技術は、日本の種イモ生産の中核機関である種苗管理センターに技術移転され、今後、順次、イモ生産への活用が検討されることにもなりました。

「ジャガイモは自給率の高い、日本にとって非常に重要な作物です。キリンがこれまで外部導出したことのなかった袋型培養槽の技術を今回提供したのは、2015年に、長年、日本への侵入が危惧されていた重要病害が初めて発生してしまったからです。原因は、ジャガイモシロシストセンチュウという害虫でした。この病害虫に抵抗性のある品種は少なく、抵抗性品種の急速な種イモの増殖が危急の課題となり、キリンの技術の活用が検討されることになりました。食料は国力の重要な源泉の1つであり、自給率の高いジャガイモの保全と発展にキリンの技術が貢献し得ることは、非常に意義の大きいことだと思っています」

キリンの袋型培養槽技術、宇宙へ

袋型培養槽技術は、食料問題に貢献するだけでなく、宇宙にも可能性が広がっています。その一つが月面農場です。2017年、大西シニアフェローたちは、文科省による月面基地プロジェクトにおいて、袋型培養槽技術を用いた農場システムの研究に参画しました*(図3)。「月面では、病害虫の防止や、緊急時の食料のバックアップ対応が必要である上、水が非常に貴重です。キリンの袋型培養槽技術では、主に袋の内部で水が循環するので水を極めて有効に利用することができます。手間も費用も削減できる可能性があり、微生物の汚染の心配も少なくなります。月面だけでなく、国際宇宙ステーションなど他の場面でも、この技術は有効であるものと思っています」。

2021年には、JAXA、千葉大学、東京理科大学と共同で、国際宇宙ステーション(ISS)「きぼう」日本実験棟内で、袋型培養槽技術の栽培実証実験を行いました。宇宙で48日間、培養液の供給および空気交換を行いながら、レタスの生育を行ったところ、順調な生育を続け収穫に至りました。

図3 文科省による月面基地プロジェクト

*「太陽系フロンティア開拓による人類の生存圏・活動領域拡大に向けたオープンイノベーションハブ:袋培養技術を活用した病害虫フリーでかつ緊急時バックアップも可能な農場システムの研究」(株)竹中工務店、キリン(株)、千葉大学、東京理科大学が2017年に行った、月面農場を想定した新しい農作物の栽培実証実験。試験対象作物としてレタス(ビタミン源)、ジャガイモ(エネルギー源)、大豆(タンパク源)を選定しました。レタスについて、ウイルスフリー苗の培養を低圧環境下で行い、常圧と遜色のない生育であることを確認しました。

ワクワクするような次の新技術開発を、次の世代が。

こうして、キリンの植物大量増殖技術は消滅することなく、広く世に出ることになりました。現在、技術をさらに発展させ、医薬品原料などの有用物質の大量生産や、地球温暖化に対応できる植物の育種などに挑戦しています。

「植物にはまだまだ知られていない能力がたくさんあります。研究は驚きの連続で、いまだに生物は不思議だな、植物のもっている力はすごいなということを感じる毎日です。自然環境では隠れている植物の潜在能力を、無菌のバイオ環境を活用することによって最大限に引き出せるかもしれません。それが面白いし、面白いと思ってくれる人が増えるとうれしいです。現在の研究でも、私自身が驚くような、これまでとは次元の違う技術や知見が次々に生まれていますよ」

これまでの紆余曲折を振り返り、「現在の技術体系は過去の多くの関係者の賜物です。またさまざまな人とのつながりがなければ今の展開はあり得ませんでした」と大西シニアフェローは言います。技術開発に携わった人は、延べ数百人。みんながつないでくれた技術を、しっかりと次の世代につないでいきたいと。

「今の展開は、夢を抱いて研究を始めた35年前の気持ちを思い出させてくれています。研究に関わる次の世代は既に非常に頼もしいです。人が変わっても技術は引き継がれ、続いていくと信じています」

  • 組織名、役職等は掲載当時のものです(2019年12月)

あわせて読みたいオススメの記事

新着記事

関連リンク