ストーリー
記事公開:2014年10月

日本から世界へ。本場ドイツが認めた研究者が語る「わがホップ人生」

  • 原料栽培・生産
  • 原料高度活用

~栽培から新商品開発、ドイツでの技術アドバイザー就任まで~

ビールづくりに欠かせない原料の一つが、香りと苦みを与えるホップです。品種や使い方によってビールの香味が変わるため、ビールメーカーにとって、ホップの研究はとても重要です。そんな中、ビール大国であるドイツの研究団体から要請され、世界でも高い技術と知識を持つ者だけに与えられる「ホップに関する技術アドバイザー」に就任した日本人がいます。入社以来、ホップ一筋に歩んできた村上敦司主任研究員です。「一番搾り とれたてホップ生ビール」や「グランドキリン」など、ホップに焦点を当てた商品開発も多く手がけ、社内はもちろん海外のホップ関係者からも頼りにされる存在です。その実力はいかにして養われたのか、研究者としてのこれまでとこれからを聞きました。

村上敦司(むらかみ・あつし)

キリン(株)R&D本部 酒類技術研究所 主任研究員

岩手県生まれ。岩手大学農学部農学研究科修了。1988年にキリンビールに入社。1996年までは、植物開発研究所(当時)でホップの品質改良に従事。その後、現在の酒類技術研究所に移り、2000年、「ホップの品質に関する遺伝学的研究」で農学博士号を取得。以降、ホップに焦点を当てた商品開発にも携わり、「一番搾り とれたてホップ生ビール」「グランドキリン」など数々のヒット商品を生んだ。2009年、全ドイツホップ連合組合より招聘され、ホップの品質とビールの香味について現地で講演を行う。翌2010年、ドイツホップ研究協会の技術アドバイザーに就任。ホップに精通した専門家として、国内外に広く知られる存在となっている。

ホップの収穫は夏。岩手県遠野市のホップ畑にて

遠野のホップ畑で笑顔の村上主任研究員。今年のホップもよい出来でした。自然に顔がほころびます。

ホップは、国内でも小規模ながら生産されています。なかでも有名な産地が岩手県の遠野市です。8月下旬、キリンが契約している0.6ヘクタールのホップ畑も収穫の時期を迎えました。土壌づくりをはじめ、病虫対策、水や肥料のコントロールなど、ホップの成長を農家との二人三脚で見守ってきた村上主任研究員は、やや緊張しながら現地に向かいます。「今年のホップの質はどうだろうか…」実際に自分の目で見て、香りの質や強度を確かめるまでは安心できないのです。

この畑で収穫されるホップは約1トン。すべて、毎年秋に数量限定で販売する「一番搾り とれたてホップ」に使われます。通常、ビールづくりに使うホップは乾燥させますが、この商品は生のまま使用するという、いわば常識破りの製法を用います。この発想に挑戦し、成功させたのも村上主任研究員なのですが、生のホップでつくったビールは、気候などの生育条件によって毎年少しずつ香味に違いが出ます。それが、この年のこの時期にしか飲めない「とれたてホップ」ならではの味になるのです。

「9月半ばに各工場で仕込みをするので、収穫が終わるとすぐに準備にかかります。どうすれば今年のホップの特長を最大限に生かせるか、香りの分析を重ねます。なかなか、ホッとする余裕がないんですよね」

まさに、とれたて!ホップの収穫作業

つるの長さは10メートル以上。5.5メートルの高さにひもを張り、つるを引っかけて折り返しています。手前に写っている花のようなものが、収穫する毬花です。
収穫が始まりました。ひもに引っかけているつるを切り、葉やつるごとトラックの荷台に積んでいきます。そして、そのまま作業場に運びます。
作業場に運んだホップのつるを、リフトのような機械に吊るします。吊るされたつるは、ゆっくりと上に運ばれていきます。
つるから外した毬花と葉を、上から下へ、ベルトコンベアで下ろします。毬花は転がり落ち、葉やゴミはベルトにくっつくので、自動的に選別できます。
選別された毬花を人の目と手でチェックし、不良品をていねいに取り除きます。こうして収穫される毬花は1トンに上ります。
これが毬花です。このみずみずしさは、まさにとれたてホップ。通常は乾燥させますが、「一番搾り とれたてホップ」は毬花を生で使うため、すぐに急速凍結します。

入社後の研究者人生は、畑での農作業から始まった

農家の人たちと腹を割って付き合い、病虫予防などの畑の管理や栽培方法にも専門的なアドバイスができるホップ研究者は世界的に見てもごくわずかで、貴重な存在です。その1人が村上主任研究員です。入社後の約10年間をホップ畑で過ごし、多くを学んだことが、今につながる素地になっているといいます。

「ホップの品質改良担当者として、先任の先輩が定年退職まで4年というときに採用されたので、仕事場はとにかく畑。福島、岩手、秋田の試験用の畑を飛び回り、栽培や育種技術を必死で磨きました。内心ではバイオテクノロジーの研究にあこがれていたので、炎天下での連日の農作業はきつい仕事でしたが、次第に、ホップを育てること、交配してさまざまなホップが生まれてくることが面白くなり、新しいものをつくる喜びに気付きました。育て方によっても違いが出るんですよ。たくさんのホップ農家と親しくなれたこともうれしかったですね」

長年、ともに苦労を重ねてきたホップ農家の菊池光彦さんと。日頃から密に連絡を取り合っています。

畑を離れ、ホップの品質とビールの香味に関する研究に取り組む

現在の村上主任研究員。指導している2人の若手研究員と一緒に、ホップの香りを確かめます。品種によって特徴が異なるため、それらを嗅ぎ分けるには厳しい訓練が必要です。

そんな村上主任研究員に、ある日、指令が下りました。ビール醸造研究所(現在の酒類技術研究所)に移り、ビールにおけるホップの香味を詳細に研究せよというのです。

「ビール醸造は経験がなく、畑違いなので戸惑いました。メンバーの助けを借りながら最初に取り組んだのが、ホップの品種ごとに使用量と煮る方法を変え、数百のビールサンプルをつくることです。徹底的に飲みまくり、どんな香味なのかを一つひとつ調べました。その結果をもとに、それぞれのビールに適したホップの使用方法を詳細に定め、基準化したのです。ビールの種類によって香りが異なるので、例えば、キリンラガービールには、このホップをこのように使用するというように」

現在も、新しい品種のホップを見つけるとすぐに取り寄せ、つい夢中になってビールを試作し、使用方法や香味を調べているそうです。

香りを確かめるときは、ホップを割ってこすり合わせ、鼻に近づけます。グレープフルーツのような柑橘系の香りがします。黄色い花粉状の粉はルプリン。苦味と香り成分が詰まっています。

化学分析で品質の安定化を支援。ホップを生かした新商品を次々に世に送り出す

こうした研究実績から、次第に、新商品開発においてもホップに焦点が当てられるようになりました。村上主任研究員は、商品開発研究所と協働し、ホップの使用技術を磨き上げるための実験や、試験醸造を繰り返しました。香味の安定化に向けて化学分析にも力を注ぎ、商品開発や工場での生産をサポート。現在も、全工場のほぼすべてのビールを化学分析し、安定した品質管理を支えています。

「一番搾り とれたてホップ」や「グランドキリン」といった、ホップの魅力を前面に打ち出した新商品づくりに取り組んだのもこの頃です。「『一番搾り とれたてホップ』が生まれたのは、『生のホップでビールをつくってみてよ』という先輩のさりげない一言がきっかけです。青臭くて飲めたものではないだろうと思いましたが、誰も試したことのない製法なので興味がわき、1リットルだけ試作してみたのです。恐る恐る飲むと、鮮烈な香りとさわやかな味が口中に広がり、なんと香り豊かなビールなんだろう!と感動しました。先入観にとらわれずにやってみること、すぐに試せる実験力を備えておくことは本当に大切ですね」

「ディップホップ」という新製法を用いた「グランドキリン」にも開発秘話があります。きっかけになったのは、ホップの使用方法を試行錯誤していた若い研究員から、「すごいビールができてしまったのですが、どうしてこんな味と香りになったのか分かりません」と相談されたことでした。村上主任研究員には、すぐに科学的根拠が思い当たりました。ホップの性質や香味のメカニズムを熟知していたからです。実際に、実験で実証することができました。そこから新製法が生まれ、これまでにない味と香りのビールを世に送り出すことができたのです。

ホップの品種や使用方法によって、ビールの味や香りが変わります。試作したビールを機器で化学分析し、成分を調べます。

要請を受け、高い技術と知識を持つ者だけがなれる独ホップ研究協会技術アドバイザーに就任

畑でのホップ栽培から品種改良、ビールの種類に応じた使用技術、新商品開発まで、すべての工程においてホップに精通している村上主任研究員の知識と経験、技術は、海外からも求められるようになりました。ドイツホップ研究協会技術アドバイザーへの就任要請が届いたのは2010年の春のことです。

「非常に驚くとともに、光栄に感じました。アドバイザーは基本的にボランティアで、年に1回、会合を開きます。ドイツの研究機関が研究している内容を聞き、それに対する意見を述べます。アドバイザーの中には、ビールの世界的権威といわれる大先生もいらっしゃるので緊張しますが、私の意見がドイツのホップ研究の発展に少しでも寄与できればと思い、できる限り参加しています」

毎年、ドイツとチェコにホップの買い付けにも行きます。会場には、各農家が出品したホップがずらりと並びます。見た目と香りを確かめ、どれを買うかを決める際、買う理由、買わない理由を明確に相手に伝えなければなりません。品種改良の経験をもとに栽培環境にまで言及できる村上主任研究員の力量は、海外でも一目置かれています。

今後10年間でホップの技術を体系化し、後継者を育てたい

「これだけ長い間、ホップを研究していても、まだまだ新たな発見があるんです。だから面白く、興味が尽きません」と語る村上主任研究員が、現在取り組んでいる課題の一つは、後継者の育成です。定年退職まで残すところ10年。その間に、次代の「ホップ博士」を育てるべく、男女各1名の若手研究員を“弟子”として指導しているのです。

「今年の秋には初めて、海外への買い付けに弟子2人だけで行かせることにしました。私がいると頼ってしまいますからね。頼もしく成長してくれているので大丈夫でしょう。期待して送り出します」

さらに、個性的な味と香りを出すにはどうすればよいかなど、ホップの使用技術や組み合わせ方をさらに研究し、自らの集大成として、後世まで組織で使えるように体系化したいと考えているそうです。

「もちろん、ホップの特長を生かした新商品開発にも、さらに力を入れます。誰も味わったことのない、これまでにない新しいビールをつくり、『おいしい!』と喜んでいただけることが最大の喜びです。まずは、今年の『一番搾り とれたてホップ』を楽しみにしていてください」

「小規模な醸造所で職人がつくるクラフトビールの潮流にも大いに関心を持っています」と語る村上主任研究員
  • このページの情報は研究成果の掲載であり、商品の販売促進を目的とするものではありません。
  • もともと飲まない人に飲酒を勧めるものではありません。
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  • 組織名、役職等は掲載当時のものです(2014年10月)