化学の力を、製品に近いところで生かしたい
「ペットボトルのリサイクルは、いまや日本が世界トップクラスの水準にあります。家庭や自治体での分別が定着し、リサイクル率はおよそ9割に達しています。しかし、将来の持続可能性を考えると、そこには大きな課題が残されているんです」
そう語るのは、入社3年目で大きな成果を成し遂げた金高秀成主任研究員。その歩みをたどると、この研究に出会うために導かれてきたかのような経歴が浮かび上がります。
「大学院では化学を専攻し、分子構造の違いによる素材の機能性変化に関する研究に取り組みました。身近な商品の開発に携わりたいと思い、大手総合印刷会社に入社。食品包装用フィルムに使われるガスバリア材の研究開発に約5年間携わりました。やりがいはありましたが、社会との接点をもっと感じたいと考え、転職を決意しました」
30歳で、環境配慮型素材を扱うベンチャー企業へ転職。食品トレーや包装フィルムの開発を手がけ、ゼロから製品化を実現しました。営業担当と一緒に客先へ出向き、自社製品の技術面を説明するなかで、ブランドオーナー側に包装材料や技術に詳しい研究者が少ない現実を知り、「ブランド側の立場で食品包装を変えたい」と感じるようになります。
こうして出会ったのが、キリンのパッケージイノベーション研究所でした。ブランドオーナーでありながら包装研究を行う体制に惹かれて入社しますが、そこで任されたのは、想定外の「リサイクル」でした。
「技術的に難しく、しかも未経験の分野で最初は戸惑いもありました。でも、取り組むうちに、驚くほど自分に合っていると感じたんです。最終製品に近い場所で化学を生かせるだけでなく、これまで積み上げてきた知識や経験がすべてつながり、自分の価値を最大限に発揮できる。気づけば、夢中でのめり込んでいました」
既存リサイクル技術の課題と、ケミカルリサイクルのメリット
入社当時、研究所にはリサイクル技術の開発に必要な設備がほとんどなく、社外での試験が中心でした。これでは十分な検証ができないと考えた金高研究員は、化学実験に必要な装置を買い揃えるところから始めました。
「それまでの研究所には、ペットボトルの成型や性能評価に詳しい人はいても、材料を化学的視点で捉える研究者はほとんどいなかったんです。自分が加わったからには、できることは自分たちでやりたいと強く思い、研究環境を整えていきました」
金高研究員によると、ペットボトルのリサイクルには、大きく分けて2つの方法があります。使用済みボトルを洗浄・粉砕し、溶かしてPETに戻す「メカニカルリサイクル(物理的再生法)」と、化学的に分子レベルまで分解し、原料の状態から再合成する「ケミカルリサイクル(化学的再生法)」です。
「現在主流のメカニカルリサイクルは優れた技術ですが、メカニカルリサイクルだけで再生を繰り返すとPETが変色し、強度も低下する傾向にあります。品質を維持するには石油由来のバージン樹脂を混ぜる必要があり、完全には化石資源から脱却できません。あるいは、飲料用途への再利用が難しくなり、衣料や建材などへ転用されたのち、最終的に廃棄されてしまいます。さらに、環境意識の高まりによってリサイクルPETの需要が増え、回収PETボトルが不足するという新たな課題も生まれています。10年後、20年後を見据えると、現在のリサイクルシステムだけでは課題があるのです」
実際に見せてもらうと、5回ほどメカニカルリサイクルだけで再生を繰り返したペットボトルは黄色みを帯びており、その違いに驚かされました。
こうした課題を克服するために、金高研究員が取り組んでいるのがケミカルリサイクルです。
「PETをモノマーという原料分子まで分解して不純物を取り除き、再び重合させることで、バージン材と同等の品質を再現できます。理論上は何度でも再生が可能で、資源をゴミにせず、循環の輪を途切れさせない技術なのです」
図1 PETリサイクルプロセスの比較
メカニカルリサイクルによるPETの変化
非食品用途のPETを飲料ボトルに──
“活用可能なPET原料の拡大”という新しい道
金高研究員が着手したのは、ケミカルリサイクルの中でも難易度の高いテーマです。
「使う原料がまったく違うのです。現在主流のメカニカルリサイクルは食品用途PETに限定されています。今回は、食品に接触することが想定されていない“非食品用途”のPETを原料にし、”食品用途PET”に再生できないかという、これまで商業的に成し得ていなかった領域に挑戦しました」
明確な定義はありませんが、キリンでは、飲料ボトルやサラダ容器など、内容物が人の口に入るものを「食品用途」としています。一方、化粧品ボトルや自販機の商品見本サンプル、産業用のPETフィルムなどは体内に取り込まれるものと接触しないため「非食品用途」としています。
「非食品用途のPETは、印刷インクや顔料、接着材、コーティング剤などが複雑に付着しており、メカニカルリサイクルでは飲料用ペットボトルに再生することができません。再利用できても、建材や繊維など、食品用途以外に限られていました」
こうした飲料用ペットボトルに再生できないとされてきた原料を、食品用途に再生できれば――。
「使用できるPET原料が限定されている従来のリサイクルを超えて、不純物を減らしながら、多様なPET原料をあらゆるPET製品に循環させることが可能になるのです」
金高研究員が挑んだ試みは、リサイクルの概念を変える、極めてインパクトの大きい取り組みといえます。しかし、これまでになかった素材を使って飲料ボトルへの再生をめざすには、高い壁がありました。
図2 PETリサイクル原料と食品用途への活用状況
どうすれば食品安全性を証明できるか。徹底した基準づくり
この挑戦で最大の壁となったのは、「安全性をどう科学的に検証するか」という点でした。
「非食品用途のPETを原料にしたケミカルリサイクルで、どれだけ不純物を除去できたか。最終的に得られた樹脂が食品衛生の観点で安全といえるのか。その根拠を示す必要があったのです」
メカニカルリサイクルでは、食品残さや油脂など有機系成分の除去性能を評価する試験が広く行われていますが、これに比べると無機系成分の除去能力を評価する試験方法は精緻に報告されることは少ない状況です。
「そのため、自分たちで評価の枠組みをつくる必要がありました。飲料を模した液を再生ペットボトルに詰めて一定期間置き、内容液に再生樹脂由来の成分が移行しないことを確認する試験を軸に、各種元素を、どの濃度まで低減できていれば安全といえるかを一つひとつ整理しました」
金高研究員は、メンバーとともに日本や欧米の関連法規を調べ、100種類を超える金属元素の許容濃度を一覧化。最も厳しい値を採用して暫定基準を設け、外部分析機関と連携して再生PETを工程ごとに分析していきました。
「分析対象が多く、それに応じて分析手法が細分化されてしまうため、膨大な作業になりました。分析感度や分析方法の妥当性を検証し、最終的に20数種類の重要な元素に絞り込みました。その過程で役立ったのが、これまで自ら手を動かしてきた実験経験。どの工程で分析が不可欠かを見極めることができました」
さらに、食品衛生の専門家らと議論を重ね、分析方法を確立しました。
「消費者に不安を残さないことが最も大切です。何を聞かれても説明できるよう、根拠を整えることを徹底しました」
こうして、非食品用途のPETを食品用ボトルに再生し、実際に製品化まで実現することに成功。日本で初めて*の成果となりました。
「自分たちで安全基準を定め、試験を行い、安全に使えると示したうえで商品化できたことに、大きな意義を感じています」
PET分解後からペレットになるまでの様子
最適なケミカルリサイクルプロセスへの挑戦
安全性の枠組みづくりと並行して取り組んだのが、ケミカルリサイクルプロセスそのものの最適化でした。
非食品用途のPETを再生する技術として、金高研究員が用いたのは商業実績のあるグリコリシス法です。PETを化学的に分解・再重合するケミカルリサイクルの工程ですが、非食品用途のPETを使う上では、まだまだ完成度を高めていく必要があります。例えば、「不純物をどう取り除くか」という課題です。
「モノマーに分解する解重合の後、不純物の混じった液体をフィルターでろ過するのですが、やってみると、フィルターがすぐ詰まって分離が進まない。手作業でろ過を繰り返すような状態で、工業的には到底現実的ではありませんでした」
商業実績のある方法は、使用済みの飲料ペットボトルをバージンPETと同等の品質に再生する形で運用されています。そのため、印刷や顔料が付着した非食品用途PETの再生は実績がないのです。
「同じプロセスを使ってもうまくいかない。ならば、自分たちで工程を見直すしかないと思いました。工業化のためにも絶対に解決しなければとの一心でした」
そうして試行錯誤を重ねるなかでたどり着いたのが、「PET原料の前処理技術」の開発でした。
「スタート段階で余計なものを取っておけば、後の工程が楽になるんじゃないか。そう思いついたのです。印刷インクやセラミックス層を物理的に削り取る小型装置を協力メーカーとともに設計・試作し、特許を出願しました」
非食品用途PETを原料としたことで生じた新たな課題の数々を、金高研究員はこうした“アイデア勝負”で乗り切ってきたと語ります。原動力は、現場を見て、物を触り、試す、いわゆる“三現主義”。
「実際にやってみることが一番確実です。手を動かしていると、次に何をすべきか、新しい発想が生まれてくるんです」
異分野ではあるものの、前職で培った経験や現場での工夫が突破口となり、 技術を進歩させる余地があることが見えてきました。その過程で、金高研究員は自分たちの挑戦のスケールの大きさにも気づいたといいます。
「これは本当にとんでもないことをやろうとしているんだ、と実感したんです。だからこそ、絶対にやり遂げたい。その思いがますます強くなっています」
図3 PETケミカルリサイクル工程フロー
さらなる新技術に挑み、石油由来PETゼロの未来を
大きなやりがいと使命感を実感した今、金高研究員は視線をさらに先の未来へ向けています。
現在取り組んでいる次の挑戦は、大きく3つあります。
「1つ目は、今回構築したキリンの取り組みと安全性の考え方を論文としてまとめ、日本のリサイクル技術を世界に発信すること。2つ目は、プラント建設と仲間づくりを進め、ケミカルリサイクルを定常的な事業として確立すること。そして3つ目は、現在のケミカルリサイクルプロセスよりもさらに効率的で、低コスト・低エネルギーな新技術を開発することです」
めざす未来は、メカニカルとケミカルが共存し、石油由来PETに頼らずとも循環が成立する社会です。
「最終的には、国内で使われたPETだけで循環が完結する世界をつくりたい。いま取り組んでいる技術は、そうした“次の資源循環”につながる第一歩だと思っています。 誰も気づかないほど自然な循環ができたら、研究者冥利に尽きますね」
図4 キリングループが目指す「プラスチックが循環し続ける社会」
- 組織名、役職等は掲載当時のものです(2025年12月)